映画『ミッドナイトスワン』


バレエ監修を手掛けた千歳美香子さんとバレエピアニストの蛭崎あゆみさんが語るバレエの世界の表と裏





この秋、バレエファンにとって絶対に見逃せない映画『ミッドナイトスワン』が公開される。『下衆の愛』・『全裸監督』の内田英治監督オリジナル脚本で、社会の片隅で身体と心に葛藤を抱えながら生きるトランスジェンダーの主人公と母親に愛を注がれずに育った少女の生き様と人間愛を描いている。主演は草彅剛さんで、初のトランスジェンダー役を熱くも冷静に好演している。そして、オーディションでバレエの実力と独特の存在感を見出され、ヒロイン役を射止めたのが新人の服部樹咲さんである。
本格的なバレエシーンが満載の本作で、バレエ監修を手掛けた千歳美香子さんと、レッスン曲を提供したバレエピアニストの蛭崎あゆみさんに『ミッドナイトスワン』について伺った。



千歳美香子さん





映画のバレエ監修とは




新居:千歳さんが映画でのお仕事をされるようになったきっかけは?



千歳:バレエ団の先輩のご主人が脚本家で、映像制作をしている方々と出会う機会があり、2004年の岩井俊二監督の『花とアリス』にバレエ指導スタッフとして参加してもらえないか、と声をかけてもらいました。それから映画の中のバレエ振付や指導のお仕事をいただくようになりました。



蛭崎:今、映画界でバレエシーンといえば、「千歳美香子さん」ですよね。今回は出演もしているし。



千歳:教室の場面にほんの少しだけね(笑)

2018年の『億男』のバレエシーンでもあゆみさんの音楽を使わせて頂きました。なかなか映画でバレエシーンが満載ということはないですが、今回の『ミッドナイトスワン』はすごく多いです。



新居:映画のバレエ監修とは、どういうことをするのでしょうか?



千歳:バレエって、CMやミュージックビデオなどで使われますよね。そこで求められているのはバレエの美しいイメージや華やかな世界観で、歌詞や内容と直接関係がなくてもいいので、プロダンサーがキャスティングされることが多い。でも、映画やドラマだと、まずストーリーがあって、キャスティングがあって、予算や時間などいろんな制約があるので、どこまでバレエの質を上げられるか、という問題があります。今回の『ミッドナイトスワン』のように、バレエを主軸に置いていない限り、質を最優先できない様々な事情があるんです。その中で、バレエに人生の全てをかけてきた人間としては、気軽に観ることができる映画で初めてバレエをご覧になる方に、本物を伝えたいという気持ちが強いです。





蛭崎:その状況の中で許される最上のものを見せたいですよね。



千歳:SNSなどで「バレエシーンを見ると冷める」とか「バレエものの映画はちょっと構える」って呟いている人が実際にいます。



蛭崎:それって、今まで見てきたものが「え?こんなのないよ~」と思うようなものが多いからですよね。見る気がしないのもなんとなくわかる。でも、今回の『ミッドナイトスワン』は違う!



千歳:バレエに関わるキャストのオーディションから、キャストたちへの指導、振付、台詞は用語だけでなくニュアンスも含めてアドバイスしました。それと衣裳や髪飾り、ヘアメイク、照明、小道具、美術などバレエに関するもの全部です。背景を含めた全てのものが、ストーリーの中で伝えたいものや映画の主題が伝わるものにしないといけない。バレエ的にはNGとか、状況を変えればOKとか、その判断ができるのは撮影現場には私しかいないんです。ドラマと違って映画は、台詞で説明せずに画の中に在るものだけで表現することが多いから、スタッフ全員が細部まで気を配って作っているんです。今回は内田監督がオリジナルにこだわった作品で、プロデューサーもカメラマンも表現したい画、伝えたいストーリー、訴えたいこと、見せたいものなど、撮る前も撮影中も編集している時も、それぞれの専門家がそれぞれの立場でこだわりや思いがある。各部署と連携を取りながら、その思いをどうやってバレエで叶えるか、ということを考えて出来ること出来ないことを伝えて、あとは皆さんに委ねるのです。


バレエ衣裳は特殊なので、映画の衣裳さん達には取り扱い慣れないものです。衣裳選びや着付けも仕事です。




新居:バレエの部分だけを見るのではなく、いろいろな方々とコミュニケーションをとりながら、一緒に作り上げていくんですね。



千歳:私がバレエ監修をする上で一番大切にしている事は、そのバレエシーンが、全体のストーリーや設定を踏まえて成立しているかどうかです。バレエ経験者は、どうしてもバレエの技術や表現を厳しく見がちです。映画の中でそのシーンの目的は何か、作り手が観客に見せたいものは何か、という事を考え、その設定や状況の中で全体としての真実味を出来る限り作り出す。そのために台本が変わることはありましたし、バレエシーンの解釈や台詞を変更してもらうこともありました。
バレエに詳しい方から見れば突っ込みどころもあると思うけど、映画としてギリギリのところとバレエのギリギリのところの折衷を探り、そのシーンが説得力をもった画になるかどうかを一番大切にして、現況で出来ることと出来ないことを伝えていく事がこの仕事の使命だと思っています。


服部樹咲さんとの奇跡の出会い




新居:一果役の服部樹咲さんはどんな方でしょうか?



千歳:バレエが踊れるという条件で一般オーディションを開催し、送られてきた履歴書と映像を全て私が見てバレエのレベルを判断しました。それを監督やプロデューサーが参考にしながら審査してもらい、キャストが決まりました。内田監督もおっしゃっていますが、初めて服部さんを見た時、まだ中学1年生で演技は未経験でしたが、あまり喋らず芯が強くて秘めているような雰囲気が一果役にぴったりでした。本当に奇跡のような出会いでした。



蛭崎:それから、先生に挨拶したり、映画でのバレエ撮影の心構えとか流れを教えたり、観て欲しい映像やいろんなトレーニングを紹介したり指導したり、バレエ指導以外のことも美香子さんが一から教えていましたよね。



千歳:服部さんは成長期真っ只中で、骨と筋肉の成長がアンバランスになりやすい時期だったし、バレエダンサーを目指していたところから女優へ転身することになり、メンタル面もフォローが必要でした。撮影が始まったら、今までのようにバレエ教室のレッスンは通えなくなるし、成長に合わせたトウ・シューズの選び方や怪我をしない体の使い方も指導しました。彼女の代わりはいないので、もし怪我でもしたら撮影がストップしてしまう。それが本当に怖くて…。一果は、才能ある初心者から海外留学してオーラを纏ったダンサーへ成長する役なので、どうやったら服部さんの体に負担をかけずに、説得力のあるダンサーの体つきと技術の向上ができるか、その匙加減が本当に大変でした。バレエのレッスンだけでは難しいと思ったので、ジャイロ(ジャイロトニック®︎:バレエダンサーが考案したトレーニングメソッド)も取り入れ、体は相当作ることができたと思います。


一果の成長段階をテクニック以外の様々な事でも表現する為に、動きや表情を細かく指示していきます。



バレエシーンのリアル感へのこだわり




新居:舞台やレッスンのシーンだけでなく、凪沙たちがシューズを結ぶようなバレエ仕草もとてもリアルで、千歳さんのこだわりがあちこちに散りばめられていると感じました。



千歳:そういうところに気付いてもらえると、本当に嬉しいです。バレエを知っている方が見ると、ほんの少し順番や形や使い方が違うだけで違和感になるので、細かいところまでリアル感にこだわったのは事実です。シューズの履き方やレオタードの色や形もですけど、髪型で一果の成長が見えるように、習い始めた頃は“ドアノブ団子”、徐々に頭にフィットさせたシニヨンにして洗練されていくようにしました。


バレエ教室の飾り付けも演出部や美術部と一緒に細かく考えていきます。実は私物の蛭崎さんのCDや自分の若かりし頃の写真も沢山飾られています。





新居:凪沙が一果の頭に白鳥の羽飾りを授けるところは、とても印象的で美しかったです。



千歳:ありがとうございます。あれは、かつて衣裳制作をしていた母が作った羽飾りに少し細工を施しました。凪沙がショーで使うものだから、一瞬でつけられるように頭の形にカーブがある羽にして中に櫛を仕込んでいます。一果の頭にポンと乗せる大事なシーンで、プロの目から見てもちゃんと白鳥に見えるようにしました。




新居:それから実花先生の熱いレッスンでは、一果の成長と同時に性格も垣間見え、バレエ界の厳しい競争がうかがえる場面でした。



千歳:一果は持っているポテンシャルが高いから、技術はすぐに上達して完璧にできるようになる。でも、感情表現やエポーレ(上半身と首)の使い方が全くできない、ということを表現したかったので、他の生徒たちは表情豊かに上半身を綺麗に使ってもらい、落差を見せました。一果はプロポーションがいいし、技術もあるから、一般の人が見たらすごく良く見えてしまう。でも、バレエを知っている方なら、その違いをすぐに理解して下さると思いました。
レオタードとピンクタイツ姿になれば、本当にレッスンをやっている人かどうか、すぐに肌感でわかってしまいます。背中だけ映っている時もターンアウト(脚の外旋)したり、タンジュ(バレエレッスンの動き)の後ろ足の向きを直したり、休憩している時もダンサーは重心の位置が高いから姿勢を直したり。撮影中にモニターで私が全部チェックして、不自然なところを一つ一つ直しました。


そのシーンでの一果の精神状態を動きの中で表現出来る様に振付を考え、他のダンサー達の動きも調整していきます。




新居:普段、ダンサーたちが無意識にやっていることを、意識してリアル感を出すのは大変な作業ですね。



千歳:役作りと同じです。それぞれの役のバックグラウンドから考えています。例えば、才能ある子のために全力を尽くす実花先生は、どういうバレエ人生を歩んできたのか、監督と話し合ってプロフィールを作るところから始まるんです。それで所作や行動が決まり、レッスンの指導の仕方が決まる。道を知らないと辿り着けないような独特の雰囲気がいいあの“バレエスタヂオ”もそうして出来上がりました。



蛭崎:私の好きなシーンが、一果がバレエ教室を見つけるところ。私が憧れていたバレエ音楽の感じなんです。外からバレエ教室の中が見えて、音が少し聞こえてくる。あのシーンに曲を使ってもらえたことが、胸キュンなんです。



音楽から伝わるエネルギー




新居:今回の映画の中で、蛭崎さんの音楽を起用したのは何故でしょうか?




千歳:それはもちろん日本を代表するバレエピアニストで、世界的にも活躍されていて、映画のバレエシーンにぴったりだからです。バレエを全く知らない人に自信を持っておすすめできます。



蛭崎:お褒め頂き恐縮です(笑)私としては、一般的にバレエ音楽と言ったら、もっと明るくて軽やかでかわいいというイメージだと思うんだけど、今回使ってもらった音楽は大人チョイスだと思います。こういった曲を選んでくださったのは嬉しかったです。



千歳:あゆみさんのCD6枚の中から、それぞれのシーンごとに私と助監督で3曲ずつ候補を出して、そこから監督に選んでもらいました。



蛭崎:今回使用された曲は短調の物悲しい感じのものやしっとりしたものもあり、映画の雰囲気に合ってるのかなと思いました。



千歳:映画全体のイメージよりも、そのシーンに合った曲を選んでいます。シーン一つでも、目に見えるそのままの意味と、直接的には見せないけど表現したいものを暗に訴える意味とがあるんです。監督がシーンに込めた意図が表現できる曲を提案しました。
内田監督は、人間の奥にある複雑な気持ちを表現してきた作品が多くて、海外でも高く評価されてきた方。マクミラン(イギリスのバレエ振付家)みたいな清濁合わせ呑むじゃないけど、綺麗なものも汚いものも社会の真実。バレエの美しい表舞台と裏の厳しくて辛い世界があるように、あゆみさんの音楽には、バレエが表現する美しさはもちろん、人間が持っている短調と長調みたいなものを両方内包していると感じるんです。



蛭崎:確かに私の弾く曲って短調が多いんだけど、短調であれ、長調であれ、ダンサーたちにエネルギーを与えるものを弾こうといつも思っています。



千歳:それは内田監督がこの映画の中で描いている人間の生きるエネルギーに通じると思うし、私自身も内から滲み出てくる存在感や表現に興味があるダンサーだったので、そういう感覚や考え方が監督やあゆみさんに重なるんじゃないかな。



新居:千歳さんが目指すバレエ表現の奥深さと蛭崎さんが奏でる多彩な音楽が、絶望と希望の狭間で揺れながら生きる凪沙と一果の姿に重なり、内田監督が本作に込めた人間愛の持つエネルギーに繋がっているように感じました。
最後に、『ミッドナイトスワン』を楽しみにして下さっている方々へ一言お願いします。



蛭崎:リアルなバレエシーンもですが、映像や色使いの美しさ、キャラの濃い登場人物に引き込まれました。バレエ通の方にも、バレエを見たことがない方にもお勧めしたい映画です。



千歳:この素晴らしい作品、内田組に参加させていただけた幸運に感謝しています。今までの日本商業映画の中で初と言って良いほど、本格的にバレエで魅せられる作品になっています。1年半近くの時間を共にして、監督を始めスタッフの皆様にバレエを理解して頂き、作品の中にリアルなバレエを刻み込みました。自分の人生をかけて、譲れないこと、夢中になれるもの、愛する人を見つけられたら、それは本当に自分を強く大きく豊かにしてくれる、かけがえのないギフトだと思います。凪沙の踊りも一果の踊りも、その人生を賭けた、心が、思いが、溢れ煌めくものになっています。その煌めきをぜひスクリーンでご覧ください!



(2020年8月 取材・文:新居彩子)

左から蛭崎あゆみさん、千歳美香子さん、筆者





千歳美香子 CHITOSE Mikako

札幌出身。
菊池寿美子バレエ研究所、内山玲子バレエスタジオ、ロンドン・セントラル・スクール・オブ・バレエにて学ぶ。
ブリティッシュガス・バレエセントラル、オーストリア・グラーツ州立オペラハウス・バレエ団、新国立劇場バレエ団に於いて20年間の現役期間中、古典バレエを初めコンテポラリーダンス、舞踏会、オペラ、オペレッタ、ミュージカル等多彩な作品で多様な役を踊る。
現在全国各地でバレエ教師、ミストレスとして活動。
ドラマ「黄落 その後」<石橋冠監督>、映画「ユメ十夜」<山下敦弘監督>へ出演。
映画「花とアリス」、「花とアリス殺人事件」<共に岩井俊二監督>、「ルパン三世」<北村龍平監督>、「プリンシパル」<篠原哲雄監督>「億男」<大友啓史監督>、「ミッドナイトスワン」<内田英治監督>
上記作品へバレエ監修・指導・振付として参加。



蛭崎あゆみ HIRUSAKI Ayumi

新国立劇場バレエ団ピアニスト。ピアノを蛭崎裕子、鈴木洋、ベラ・シキ、ピエトロ・ガリに師事。2004年渡仏、パリオペラ座バレエピアニストコンクールに入賞。パリで活躍したのちバレエピアニストとして初めて文化庁在外研修員に選ばれウィーン国立オペラ座にて研鑽を積む。2010年より全日本バレエコンクールに楽曲を提供。「吉田都のスーパーバレエレッスン」「らららクラシック」「夢をかなえるアン・ドゥ・トロワ~ルグリと目指せバレエの饗宴~」「生活ほっとモーニング」(NHK)、「たけしの誰でもピカソ」「思いっきりいい!テレビ」等に出演。メディアフォリジャポン社よりバレエレッスンcd「Music for Ballet Class」1~6巻が好評発売中。2018年には18世紀のバレエレッスンを再現したヴァイオリンによるバレエレッスンcd「La Classe des Rois」をプロデュースした。



新居彩子 NII Ayako
小林紀子バレエアカデミーでロイヤルアカデミーオブダンス(ARAD)修得。早稲田大学卒業後、小林紀子バレエシアターに入団。引退後、スペイン、ハンガリー等で地域スポーツコミュニティを学び、帰国後に経営管理修士(MBA) 修得。NPO活動で幅広いスポーツ文化の普及・振興事業を展開。2014年に株式会社The Graces B (https://www.graces-b.co.jp)を創業し、バレエを活かしたライフスタイルを提案するイベント企画、教室運営コンサルティングなどを行っている。Instagram@danceviz ,Twitter@DanceViz




『ミッドナイトスワン』使用楽曲

Music for Ballet Class 1 よりTrack 5 Tendu
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Music for Ballet Class 3よりTrack 40 Coda
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Music for Ballet Class 5よりTrack 1 Warm Up
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Music for Ballet Class 6 よりTrack 41 Allegro、Track 46 Coda
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